新月の日、娘が卒乳しました。
正確には断乳というのかもしれないけど、ほとんど卒乳に近い流れで、
数ヶ月前から、自然に娘が自分でさよならする意思を育てつつ、
泣くこともなく、笑顔でお別れできたので、卒業という意味での、卒乳。
生まれてから19ヶ月間、一度も粉ミルクを飲まずに完全母乳してきたので、
実は娘よりも、寂しくてわんわん泣いてしまったのは私のほう。
娘は何度も「おっぱい、バイバイ!」と強くなった姿見せてくれたのに。
私にとっては、出産と同じくらい意味のあるものになった。
私のお腹から離れ、乳房からも離れていく。素晴らしい儀式。
今まで私の母乳を必要としてくれていたこと、
女として生まれて、乳房を授かり、小さな命を繋いでこれたこと、
心からの喜び、全身で嬉しくて、全てが愛おしくて、目頭が熱い日々が続いた。
新月の前日、卒乳のことをしっかりとお話した日の夜、
生まれて初めて娘が自ら授乳を拒否した。
何度も私の胸に手を振り、「バイバイ」と言う姿を見て、私も急に実感が湧いて泣いた。
娘はもうこんなに心の準備ができてるのに、実は私自身ができてなかったことに気づいた。
卒乳を決めてから、正直もやもやした気持ちが晴れなかったのは、
本当は娘が卒乳できるかの心配ではなくて、私自身のことだった。
外出時の授乳に困ってしまったり、夜中のおしゃぶり代わりの授乳にもへとへとになって、
正直、早く卒乳してくれないかな、なんて思ったりもしてた。
でも、いざお別れする時がくると、
授乳の時の娘の表情がかわいくて大好きだったこと、
その時間がとっても幸せだったこと、
あの場所、あの時間、あの空間があたり前になりすぎて気づいてなかった、
とっても愛おしい至福のときが、もうさよならだと思うと、
少し後悔して、寂しくて寂しくて、涙がぼろぼろ出た。
私が泣く姿を見て驚き、頭をよしよししてくれたり、
笑顔で「かあちゃん、ち。かあちゃん、ち。(好き)」と言ってくれて、
娘がこんなにも優しく成長してくれた姿に感動して、また泣いた。
生まれたばかりの時、私の母乳が生きるためのすべてだった娘が、
やがて歩き出し、言葉を発すようになって、授乳中に「おいしー」と言いながら、
私の腕の中でこんなにも、すくすく元気に大きくなってくれて、胸がいっぱいになった。
たぶんあんなに感情が高ぶって泣いたのは、出産の時以来。
私と娘の絆を温かく確認した時間。
弱虫で甘えん坊なのは、私のほうだったね。
いつも私を強くしてくれて、ありがとう。
もっとうんと強い「かあちゃん」になるから。
この夜は、私にとって忘れることのない、愛に溢れた素晴らしい夜だった。
新月当日の朝、最後の授乳を終え、
「もうこれでお別れね、バイバイ、ありがとうね。」とさよならしたあと、
不思議なことに、突然、娘が自分の名前『響花(おとは)』と言えるようになった。
自分を指差して、「おとあ!」って。始めからフランス語発音だけど。
娘が私からまた少し離れて、自分という世界を認識してく新しいスタート。
卒乳後、珍しく私はイライラの渦の中にいた。
それがホルモンの変化のせいだと気づいて気持ちがらくになった。
授乳という行為は、親子の心を落ちつかせあう作用がある。
それを手放した私たち、きっともうその必要がないということ。
ふたりでひとつ、ではなく、ふたりはふたり。
今回こんなにいろんな感情を体験したことで、とても温かい大きな気づきを受け取った。
子育ては親育て、と言うけど、実は逆で、
親が育たなければ、子は育たない気がする。
いつもお月さまと一緒に成長する私たち。
娘がはじめての卒業をしたこの日、お月さまもゼロになってスタートする。
宇宙の流れに乗って、その居心地のよい波に揺られて、新しい出発にぴったりの日。
小さな命、大きな生命力。
みんなたくましく生きてる。
娘と私、手を繋いで、ちょっと大人になったふたり、
どうぞお月さま、これからも見守り続けてください。