思いつきで結成した『森さんぽ部』。
毎週末、時間を見つけては、パリ郊外の森を探検してます。
こどもたち、犬たちといっしょに、
草木に、土に、水に、風に、光に触れて、めぐる季節を感じて歩く。
大地を踏みしめ、太陽を仰いで、木漏れ日のシャワーを浴びて、
緑と土の匂いを身体に染み込ませ、出逢いや発見を感動しながら
自然と宇宙と繋がるエネルギーを体中に充電する数時間の旅。
土の中から、枝の中から、むくむくと新しいいのちが顔をだし、
森いっぱいに広がっていく、芽吹きのうた。生命の大合唱。
枯れ果てて落ちた茶色の精におつかれさまを言って、バトンタッチ。
新しい循環がはじまる。
娘の森用のレインパンツも、私の丈夫な長靴も新しく揃えた。
雨あがりは泥んこになって、晴れの日は軽やかに駆け回って、
いろんな表情の森と触れ合い、愛し愛され、
感謝して、繋がって、全身で感じる。
感謝して、繋がって、全身で感じる。
私のバイブルであるレイチェル・カーソン*の本
『センス・オブ・ワンダー』。(*『沈黙の春』『複合汚染』の著者)
『センス・オブ・ワンダー』。(*『沈黙の春』『複合汚染』の著者)
今まで読むたびイメージの中で起きていた癒しと学び、
これからは娘と共に、この身体で体感していきます。
(本文より抜粋)
『子供たちの世界は、いつも生き生きと美しく、驚きと感激にみちあふれています。
残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに
澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、
あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に
話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を
授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの
「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを
子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、
次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、
むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうが
どんなにたいせつであるかわかりません。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、
生命の終わりの瞬間まで、
生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。』
生命の終わりの瞬間まで、
生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。』