この9月から、娘は週3回午後のみ、Halte Garderie(保育園)に通い始めました。
今はまだ慣らし保育で、私も一緒に付き添いでの通園。
金髪や黒い肌のお友達に、かわいがられたり、突き飛ばされたりしながら、
はじめてのフランス語生活の中で戸惑う日々。
園で娘がよく突然言い放つ言葉。
「みんないっしょ!」
おやつの時間、外で遊ぶとき、お歌をうたうとき、いつも、みんないっしょ。
今までは「かあちゃん、いっしょ。とうたん、いっしょ。」の世界だったのが、
うんと世界が広がって、「みんな、いっしょ」になった。
「自分のものから、人と分け合う、そして、いっしょに楽しむということ、学んでいく」
と書いたことがあるけど、まさにそう。
そしてその言葉の中には、自分は孤独じゃないという、あたたかい安心感を感じる。
「みんないっしょ(だから寂しくない)」と、私から離れていく心の準備。
Garderieに通うようになってから、毎晩眠りながら、夢の中で泣くようになった。
夢の中で現実を整理して、無意識の部分で泣いて発散。バランスをとってる。
がんばれ、小さな怪獣ちゃん。
家の中ではすっかりおむつがとれて、なんでも自分でしたがる。
毎朝、大量の布おむつを洗う生活から突然のさよなら。洗濯ものがうんと減った。
今まで面倒くさいと思ったことはなかったけど、でもやっぱりありがたい。
帰宅すると、自分で靴と靴下を脱ぎ、おむつも脱いで、
「おしっこ、うんち、じぶんで~」と言って、自分でおまるでおトイレ。
自分で拭いて、自分でおまるをトイレに運ぶ。
私が手を貸すと、なんでも怒る。
イヤイヤ期は絶好調で、日々の中でいちばん多く言う言葉は、
「じぶんで~!」
「おとあの~!」
「いや!きらい!しない!ちがう!のんのん!」
もうすっかり自我が芽生え、私もお手上げ状態になることもたくさん。
そして、いたずらすると「ミナイヨ~」と自ら言ってくるので、バレバレ。笑
ある日、あまりにも聞き分けがなかったので、
はじめて、思わず娘のほっぺを叩いてしまった。
はっとして抱きしめて、何度も「ごめんね」と謝った。
だいぶ経って、またいつものようにイヤイヤ噴火するので、どうしようもなくて泣けてきた。
すると私を見て、今まで自分から謝ったことのなかった娘が
「かあちゃん、ごめん。ごめんね。」とすり寄ってきて、
泣きそうな顔で心配そうに、何度も何度も言ってくれた。
言葉って、「言いなさい」と教えられて覚わるんじゃなくて、
自分で体験して体感して身につけていく。
「ありがとうってちゃんと言いなさい」じゃなくて、
まず自分から、ありがとうを伝えること。
大人の世界もおなじこと。
私自身も母親が完璧ではないと気づいた10代の頃、
今まで背負っていた殻が割れて、世界がパ~っと広くなったことを思い出した。
そしたら自分のことがどんどんわかるようになって、
"母の中の私"ではなく"自分としての私"が見つかり、
自分らしさへの自信に繋がり、母をいたわる気持ちが芽生えていった。
きっと幼少のときからそれを何度も繰り返していて、また時世へと受け継いでいく。
今さらに、大切な時間を二人で紡いで、ますます絆を深める時間。
卒乳してから、その分、娘を抱きしめる時間が増えた。
仲直りのおやつは、
農家から届いた熟れ過ぎで潰れたレーヌクロードで
砂糖・卵・牛乳・バターなしのマクロビタルト。
タルト生地はお手伝いしてくれました。