2歳8ヶ月の娘と過ごした、長くて短かった夏休み。
まだまだ反抗期の続く娘との、ぴったり密着7週間。
このタイミングで過ごした日々は、本当に意味のあるものだった。
最初は絶望的だったけど、泣いて笑って抱きあって、
娘が癇癪を起こすたびに、私の中のインナーチャイルドがむくむく目覚め共鳴し、
2人の小さな子と共に浄化し、成長し、信頼しあい、さらに深い絆を紡いだ。
娘の癇癪に、大きな感謝。与えられたこの時間に、感謝。
娘の癇癪に、大きな感謝。与えられたこの時間に、感謝。
朝起きて、まずひとこと目に「ノン!」からはじまる困ったちゃんは、
この夏休みの間に少しずつ変わっていった。
なにもかも都合のいいフランス語「ノン!」での一点張りが
最近では、「やだのー、だって◯◯なんだもん」と
自分の意思をはっきり述べて伝えられるようになった。
自分のことがますます分かって、
自分の言葉で表現して、
自分でできることがさらに増えた。
身のまわりのことは、もうほとんどできるようになり、
洋服を自分で選んで、脱いで着替えて、おトイレ、手洗い、歯磨き、
頭よりうんと上にある電気のスイッチも、植物にお水あげるのも、
お茶をコップにいれるのも、ゴミを捨てにいくのも、なんでも全部自分でやりたい!
私が手を貸すと癇癪。自分ひとりでできるまで癇癪。
もちろんやらせてあげれる範囲は任せるけど、
散らかるし、時間はかかるし、危ないし、
急いでるときなんて、私もイライラ、そして娘に連鎖、
散らかった部屋の片付けを1日中繰り返しては溜め息。
ほぼ2人きりのおうちでの気の遠くなるような夏休み、どうなるかと思ったけど..
ある日、娘がひとりでパズルができるようになった。
最初は15ピースのパズル。
数日後にはランダムな形の50ピースも簡単にできるようになった。
これは難しいだろうと思って、散らかるのが嫌で長い間、見せずに閉まってあったもの。
始めた頃は、私や夫に助けてもらって一緒にしかできなかったのに、
ある時、お仕事が忙しくて放っておいたら、一人で黙々とできるようになり、
完成しては壊し、また完成しては壊し、何時間も夢中になってやってる。
私も本当に感動したし、これでもかってくらい褒めてあげた。
嬉しくて嬉しくてこみ上げる自信に満ちた笑顔、
喜びの波動に包まれて、なんとそれから「ノン!」の回数が減った。
いつもはぐずる歯磨きもお風呂も「は~い!」と言ってすすんで行く。
自分でできる力を邪魔されず、ひとりで成し遂げて、自信を持つということ。
それはなにより輝く大きなパワーになって、
心を満たし、満開の笑顔を咲かせ、集中力を高め、大きく成長に繋がってく。
日常にはこんなこと、きっといっぱい転がってる。
無意識にいつも言ってしまう「これはだめ!」ってこと、
少しゆるめて、やらせてあげようと思った。
「やめなさい」じゃなくて「やめてよ」くらいのことは、
だいたいが私に都合が悪いだけのこと。
できる力を信じてあげること。
可能性の芽を摘まないように。
可能性の芽を摘まないように。
こぼしたって、散らかしたって、汚したっていい。
ぐちゃぐちゃの部屋で夢中になってる姿、見守れるやさしさ。
片付けよりも大事なこと。
夏休みに与えられた私への課題。
難しいときもあるけど、しっかり受け止めた。
今はお箸のちゃんとした持ち方に夢中になってる。
きっとすぐ、できる。
反抗期が終わるタイミングって、
もしかしたら母親がレベルアップしたとき、なのかもしれない。
「こら!こんなことしたらだめでしょう!」
なんてキンキン怒鳴って、大泣きされるのをやめて、
なんてキンキン怒鳴って、大泣きされるのをやめて、
「ねえ、おねがい♡ やめてね♡」と笑顔で頼んでみると、
「うん、わかった♡」と答えてくれる。
おまけに「おかあさん、こわくないね、ニコニコしてるね」って嬉しそうに。
私が怒れば、娘も怒る。
私が笑えば、娘も笑う。
なんてシンプルな法則。
やっと、しっくり、ぴったり、分かってきた。
日に日に広がっていく言葉の世界。
とにかく朝から晩まで喋る喋る喋る。
答えるのはもちろん、相づちすることさえもヘトヘトになる..
輪をかけて本格的な「なんでなんで?」もはじまった。
「なんでおしりからうんちがでるの?」
「なんであの人(信号が)赤なのに歩いてるの?」から始まり、
「なんでハトさんは噴水の中入ってもいいの?」
「なんでネコちゃんは机に乗ってもいいの?」
と、答えるのに難しい質問もよく訊いてくる。
動物は自由だけど、人間にはルールがあるんだよって説明しながらも、
とにかくいろいろ考えさせられる。
子どもと話すって、深い。。
ふと気づいたら、話す言葉が私そっくりというか、そのままになってた。
心配そうにしてると「だいじょーぶだよ」「しょうがないよ」とか、
痛がってると「いたくないよー すぐなおるよー へいき!」って励ましてくれる。
「おとうさん、ソファーでワインのんじゃだめでしょ!」
「おかあさん、ゆっくりたべてね。こぼさないように!」
なんて言われるし、極めつけは、怒ってる私に、
「おかあさん、ぎゃーぎゃーいわないで!うるさいよ」...
娘の話す日本語は、すべて私の写し鏡だとドキっとした一言。
彼女の言葉にえっ?と思うときは、自分の言葉を見つめ直すとき。
ありがとう、ごめんね、私の鏡ちゃん。
そして、娘がこの夏にしっかり手に入れた、3つの魔法の言葉。
私の中の小さな私との浄化のために、心の中で繰り返してた言葉。
娘にも同じように響いて伝わってた。
そして彼女自身で言えるようになった。
この宇宙でいちばん大切な感謝の言葉「ありがとう」。
ますます私たちの間に溢れてる。
手伝ってあげたとき、助けてあげたとき、おやつやごはんの時間に、
ふとしたときに、本当に些細なことにもなんにでも、
ふとしたときに、本当に些細なことにもなんにでも、
娘の口から反射的に出てくるこの言葉が、なにより嬉しい。
いちばん勇気のいる浄化の言葉「ごめんなさい」。
何かやらかしたあと、今まで「こういうときなんて言うの?」って聞いても
プイ~だったのが、私も意識的に娘に言うようになったら、
「ごめんね、おかあさん、○○しちゃって」って理由もつけて言えるようになった。
「ごめんねっていわなくて、ごめんね」と謝ってくれたときは感動した。
「ごめんね、おかあさん、○○しちゃって」って理由もつけて言えるようになった。
「ごめんねっていわなくて、ごめんね」と謝ってくれたときは感動した。
拗ねてできないときも、もちろんあるけど、
素直に謝ると、お互いリセットして、笑顔に戻るって法則が分かってきたみたい。
そして、宇宙に繋がる愛の言葉「だいすき」。
抱っこしてるとき、トイレの中で、ご飯食べながら、「ごめんね」のあとで、
いつでもどこでも、なんでもないときに、恋人同士みたいに頬ずりしながら囁きあう。
いつでもどこでも、なんでもないときに、恋人同士みたいに頬ずりしながら囁きあう。
寝る前に「みんなだいすき..」と心から溢れるような声で呟くときもある。
この上なく平和で幸せになる言葉。
「ありがとう」「ごめんなさい」「だいすき」
笑顔になれる魔法の言葉。
私が意識することで、娘にも反射した。
私が意識することで、娘にも反射した。
鏡に反射した愛は、やがて連鎖してますます響いていく。
反抗期がくれた、私たちのへの癒しとさらなる愛の成長。
子育ては親育て。
私が変われば娘も変わる。
私自身の成長のために、娘がここにいる。
ありがとう。
子育ては親育て。
私が変われば娘も変わる。
私自身の成長のために、娘がここにいる。
ありがとう。