
14ヶ月になった娘の最近は、喋る!喋る!喋る!
日々新しい音や言葉を見つけて、真似して、覚えて、おうちの中がますます賑やか。
言ってることは意味が分からないけど、なにが言いたいかはちゃんと分かる。
それって不思議。親子って不思議。
言葉にならなくても、「おと」で会話する。表現する。
たった3週間の日本滞在から帰ってきたとき、うんと成長していて驚くばかりだった。
お誕生日にプレゼントした木馬に一人で登って、体を自由に揺すって遊ぶ。
洗濯物を干す時、一枚一枚、パンパンってして、どうぞと渡してくれる。
ご飯もほとんど自分で食べて、終わったら手を合わせて、テーブルを布巾で拭く。お皿の中まで拭く。
歯磨きして、靴や洋服を自分で脱いだり、着ようとする。お片づけもしてくれる。
「自分でできる!したい!」が芽生えてきた。
と同時に、授乳が必要なくなってきた。
母乳もどんどん減って、そろそろ卒乳かと思うと、私のほうがキュンと寂しい気持ち。
1年前は、私の母乳だけで生きて、命に繋がるものだったのに、
今はもう、寝る前と甘えたときだけの、ご褒美の心のレメディみたいなもの。
後追いも人見知りもせず、髪の毛も結べるようになり、手足もすらっと締まって、
なんだか気づいたら、ちょっぴりお姉さんになっていた。
最近は、だだをこねたり、怒られるとしゅんと拗ねるようにもなって、
本当に、もうすっかり、しっかり、子供ちゃん。
日本に発つ前は、見るものなんでもが「わんわん」で、行きの飛行機では、
隣の座席のおじさんを指差しては「わんわん」と言って、私をヒヤヒヤさせていたのに、
帰りの飛行機では、ちゃんと犬のことだけを「わんわん」と認識できるようになっていた。
今では家の窓から外を見て、(犬がいなくても)「わんわん、いた!いた!」とはしゃいでる。
童謡のCDをかけてあげると、曲の鳴るおもちゃを引っ張り出してきて、
いろいろあるボタンの中から同じ曲を選んで押す。
私がピアノで弾いてあげると、喜んでその振り付けをする。
何十曲もある中で、メロディーとリズムでちゃんと聞き分けて、覚えてる。
娘の脳みその思考のスピードの速さに圧倒される。
今話せる意味のある言葉、「わんわん、うちゃちゃん(うさちゃん)、ちょーちょ、おっぱい、
おんぶ、パン、ちゃ(お茶)、バー(バナナ)、とーと(お父さん)、パッパ(馬のパカパカ)、
パクパク、これ、あった、いた、いてて、いたい(痛い)、あちー(熱い)」などなど。
そして私たちの話す会話のような「おと」のリズムで、いろんなことをぶつぶつ1日中話してる。
普段、私たちが耳を傾けてない騒音や、窓の外での犬の鳴き声、
隣人の物音などに、とっても敏感に反応していて、いつもハッとさせられる。
遊びに夢中になってても、周囲の音をしっかり聞いていて、自分なりの言葉を使って、教えてくれる。
きっと、雨音とか、風の音、葉のざわめき、鳥のさえずりとか、いちいちちゃんと聞いてて、
まるで野生の動物の聴覚のように、アンテナをピンと立てた彼女の耳は、自然の一部なんだと感じた。
娘の名前、「響花(おとは)」。
私たちが、名付けた由来と同じことだって、気づいた。
人間であっても、自然の一部だということ。
花のように自然の響(おと)と共生していける力強い女の子。
出産してから1年以上経った今も、自分に子供がいることが、いまだ夢のよう。
娘と会話できるようになったことも、夢の中みたい、ふわふわと信じられないままの私と、
「今」の中にしか生きてない、まっすぐ一生懸命に表現する娘。
私たちの話す言葉、彼女を包むすべての「おと」、聞いて、真似て、伝える。
伝わって、喜ぶ。嬉しいから、お互い、伝え合う。
思わずぎゅうって抱きしめたくなる。
あたり前のことだけど、すばらしいこと。
娘の心の、中のほうから、一生懸命伝わってくるキラキラした気持ち、
受け止めてあげれて、お互い、嬉しくって、とにかく、ずっと笑顔の毎日。
たのしい!まいにち、だいすき!