2015/01/25

冬のプレゼント


毎年恒例のパリ市から子どもたちへの
冬休みのプレゼント、パリ中のメリーゴーラウンド乗り放題。
今年の冬休みは娘と用事ついでにいろんな場所へ。

ぐるぐる。ぐるぐる。
はしゃいでまわる子どもたちと、震えて待つお母さんたち。
でも子どもたちが喜ぶすがた、見てれば心はぽかぽか。
自然と笑顔になって手を振ってる。
こどもを見守る親の顔はみんな同じ。
笑顔の連鎖。
今年もどんどん広がっていきますように。

République広場。



Hotel de ville前。



4区のmairie前。

St-sulpice教会前。


Sacré coeur寺院前。


Concorde広場。



2015/01/19

Galette des rois


公現祭の日に焼いたいびつなGalette des rois
今年もフェーブが当たった王様は娘。
幼稚園でのFêteでも娘に当たったそう。

最近娘はこだわりが強く、「勝ち・負け」で遊ぶのが好き。
そういうことを学ぶ時期なんだろうけど、
私はあまり気持ちがよくなくて「勝ち負けではないよ」と説明する。
勝ち負けにこだわるということは、
やがて敵や争いを生んでいくということ
もし王様になれなかった子が泣いてたら、
そっと王冠貸してあげて、喜びを共有したり
なにごとも対立せずお互い尊重しあうことが
大切じゃないかなということ

世界の平和を願うには、まずは自分の心の平和を見つめること
私も改めて考えるきっかけになったし
娘にもっと伝えていこうと強く想った今日このごろ。

2015/01/13

祈り


私の住む愛する街パリで起こった、悲しいできごと。
世界中を衝撃に包んだCharlie Hebdo社で起こったテロ事件は、
我が家から歩いてほんの5分の場所でした。
娘とよく通る歩道のとなり道。
家の窓の外ではものすごい数のパトカーと救急車の音が鳴り響き、
ニュースで流れる銃声に、恐ろしい気持ちで張り裂けそうでした。

翌朝の警官銃撃事件は、
自宅からパリを横断して離れた娘の幼稚園からすぐの場所。
パトカーの音に敏感になってる娘が
登園時に察知した直感があたり、またもや事件。
その翌日、その犯人が人質をとって立てこもっていた場所は、
私たちがいつも森へ行く時に使うメトロの駅前。
この日も自宅前にはたくさんのパトカーと救急車が行き交い、
ヘリコプターが飛び、同時に発生した二件の立てこもりに
街中が一斉に息をのみ見守った長くて重い数時間..

画面越しには、よく知った場所が映しだされ、
一瞬にして別世界になったいつもの街。
胸の鼓動が大きく響きわたる静かな空間。
容疑者を含む計20人の死という文字は、悲しかった。

全細胞で恐怖を感じた日。
生かされていることに心から感謝した日。
この世界には、こんなものより遥かに想像を絶するほど
凄惨な日々の中で生きている人がたくさんたくさんいる。
いつものなんでもない日々が
こんなにも平和でありがたいと想うと泣けてきた
その日は、私のお誕生日でした。

そして日曜日のパリ過去最大の反テロデモ。
我が家の裏の通りを、パリの人口の約8割の160万人もの人々が参列。
フランス全土では370万人。44カ国の首脳も集った大行進。
フランス中、世界中をひとつにしたスローガン、
Je suis Charlie(私はシャルリー)』を掲げて集い、
一瞬にして大きなエネルギーとなった。
いつもはプライドの高い個人主義のフランス人が手をとりあった。
今やパリ中の役所も、バスの中も、掲示板も、広告塔も、国鉄も、
エッフェル塔も、凱旋門も、入るお店も、すれ違う人も、すべてがCharlie

私はこの言葉が広がりはじめたときから違和感があった。
スローガンが指す『団結』という意味の中には
怒りや憎しみが入り交じり、闘争心を持っていて、
私はそれを人々が共有しあって膨らんでいくのが怖かった。
Charlieの死への悲しみから生まれた連帯の輪から、
平和や自由を願う気持ちから、
どうか、さらなる歪みや争いが生まれませんように..

小さな脳みそで、この数日間、
毎日いろんな記事を読んで、いっぱいいっぱい考えた。
宗教の尊厳、 表現の自由、言論の自由、
あっちの話も分かる、こっちの話も分かる。
私は恥ずかしながら、フランスの表現の自由や
風刺画の歴史の知識がほとんどなかったので、
やっぱり日本人的な考えが響くことのほうが多いけど、
結局、答えがでない。正解も間違いもない。

人はみんな無垢な状態で生を受け、
そこから出逢ってきた環境、文化、思想、宗教、教育の中で
それぞれ育まれる価値観は、みんな違う。
Je suis Charlieの人、Je ne suis pas Charlieの人、
いろんな見解があって、いろんな主張があって、
みんな違って、みんなそれでいい。
容疑者も同じく彼らの環境の中で育んだ、彼らなりの表現手段が
悲しいことに暴力や武力で、彼らにとっては正しい道だった。
でも、世界のルールでは絶対に許されないこと。
そういう環境や事件を生んだのは地球上みんなの責任。

理解しあうことは難しいかもしれない。
被害者も加害者も、視点を変えれば、
どちらも英雄にもなるし、悪にもなる。
でも、お互い対立するのではなくて、戦うのではなくて、
尊重しあい、思いやりの心を持つことを忘れてはいけないと思う。

これは決して終わりではなく、はじまり。
私たちを目覚めさせ、この星を守るためのステップだと思う。
この事件について考えるすべての人に、
気づきや学び、そして課題を与えてくれた。
解決しなければいけないことが表面化された今、
ひとりひとりが愛を持って、許しの心を持つことが
さらなる地球の癒しと成長につながっていく。
考えの異なるすべての人が、同じ星の上で共存していくため。
イメージすることは簡単だけど。
親子喧嘩でさえ絶えない私なんかが言える立場ではないけど。
まずは自分の中から、平和の気持ちを大切に、守っていこうと思います。

明日またなにが起こるか分からないこの街で
緊張でこわばる体と心、ぴりぴりした気持ちで過ごす日々の中、
祈ることは、ただひとつ。

宗教や人種、思想を越えて、愛と調和に満ちた世界になりますよう。


この事件で亡くなられたすべての方のご冥福を心からお祈りいたします。

2015/01/03

HAPPY NEW YEAR 2015























新年あけましておめでとうございます。

大きな変化のはじまりとなった一昨年から引き続き、
去年はさらにこころもからだも浄化と変容を繰り返して
沸き起こる奇跡を積み重ねた一年でした。
そして、わくわくするたくさんの出逢いに溢れ、
広がり続けるつながりの輪に、喜びと感謝の毎日。
私の手に集まる温かく小さな光は、大きな希望へ。
ここ数年、元旦に想い描いた一年の直感は、
不思議なくらい当たるようになってきました。
今年は、さらに内なる自分との対話を大切にして、
宇宙の歩みに、2015年のリズムに、委ねていこうと想います。

新年への年越しは、家族そろって
セーヌ川のお船に住む友人宅でゆらゆら揺られ
きらきらのエッフェル塔を眺めながら迎えました。

元旦は大寝坊してのんびりお正月ごはん。
おせち作りの憧れは今年も果たせず..
煮しめと巻き寿司を重箱へ。

大晦日、娘が自分からお掃除すると言いだして
鏡や床を夢中になってぴかぴかに磨いてくれたり、
煮しめのにんじんの型抜き、こんにゃくをねじったり
お雑煮とぜんざいの白玉を作ってくれたり。
またひとつ、成長を微笑ましく想う気持ちと、
パリにいながらも親子で日本人らしくいられること
ありがたく、尊く想うお正月。

娘は、私が飾り切りした椎茸を見て、
「わー!お星さまみたい!た、食べてみる!」と
食べものの中で唯一食べられなかった椎茸を、ぱくり。
数年間の封印は一瞬にして解かれ、「おいしい~」の笑顔と共に、
「おとは、食べれないものひとつもない!!」と大興奮。
元旦、娘のきらいな食べものが、ゼロに。
お星さまのウィンクひとつで、ぱぁ~っと広がった世界。
小さな勇気は、大きな革命。
長い間拒んでるもの、諦めてるもの、
娘を見習って、そういう概念も光に変えて
私も今年はさらにどんどん手放していけそうな予感。

そして、家族で今年の夢を描いてスタート。
家族で描いた夢を、私は絵に、娘がそれに色づけして。
大きな夢に向かって、ひとつひとつがどんどん叶っていきますように。
世界中のすべてが、ますます光り輝く一年になりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


夫が作ってくれたぜんざいに、娘の白玉。

フランスでお正月に飾るGui(宿り木)。


2015110:00のきらきらエッフェル塔。

初詣はサクレクール寺院へ。